【会長のごあいさつ】経営史学会の役割と課題
経営史学会会長 沢井 実
2017年1月に橘川武郎前学会長のあとを受けて、経営史学会会長に就任いたしました。現在812人という多数の会員を擁する本学会のいっそうの発展のために、微力ながら力を尽くす所存ですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
経営史学は、企業経営の歴史、その他さまざまな組織の歴史を、その過程に参画する諸主体に力点を置きながら研究する学問です。また同時に経済学、経営学、歴史学、経済史学などさまざまな隣接諸分野と緊張感をもって協同する学問でもあります。
経営史学会が『経営史学の二十年ー回顧と展望ー』(東京大学出版会)を刊行したのは1985年でした。同書の「序」において当時の経営史学会会長中川敬一郎氏は「経営史学会設立の年、その前月には東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催され、またその年の四月、日本はIMF八条国に移行し、OECDに加盟している」として過ぎ去った20年を回顧されています。当時は日本の製造業に対する自信が漲っていました。1970年代末には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題はJapan as Number One: Lessons for America)と題する書物が日本でもベストセラーになりました。
日本における経営史研究の特徴のひとつに産業経営史とも呼ぶべき各産業部門別の経営史研究の豊富な蓄積があります。経営史家の多くの社史作成への執筆参画などはその代表的な事例であり、これはまた近現代日本における製造業、ものづくりの重要性を端的に反映した結果だと思います。1980年代には日本的経営、日本型経済システムに関する多くの経営史・経済史研究が出現しました。
しかし「失われた10年」、「失われた20年」を経て現在では日本企業、日本の製造業、日本経済の将来に対する悲観論が横溢しています。こうした議論はどこまで根拠のある議論なのでしょうか。“Japan Bashing”、“Japan Passing”、「失われた10年」、いずれも主体的努力の総和としてのプロセスを無視するような乱暴な議論であり、組織の中の主体、主体と組織、組織と組織の関係にあくまでもこだわる経営史学はこうした議論に与しません。
翻って私たちは『経営史学の二十年ー回顧と展望ー』以後のこの約30年間、「経営」史の対象を可能なかぎり拡げる努力をどこまで意識的に追求してきたでしょうか。分析のための道具箱の中身をどこまで豊かにしてきたでしょうか。加速化する人口減少、原発事故への終わりのない対応など、はじめて経験する事態が続くなかで、経営史学会会員一人ひとりが自らにとっての切実な問題意識を育み、主体的な「現在と過去との対話」をどこまで追求してきたでしょうか。経営史学会はこうした学問的営為の場でありたいと思います。
そのためにも歴代会長が掲げてきた、@研究の国際化の促進、A情報化の推進、B若い世代の研究者への支援、という3つの重点方針を私も継承いたします。
第1に経営史学会は世界各地の経営史学会や経営史研究者との交流にとくに力を入れてきました。昨年8月に開催されました第1回世界経営史会議(The First World Congress on Business History, Bergen)への国別参加者数でも日本が第一位でした。東京オリンピック・パラリンピック閉会直後の2020年9月には、第2回世界経営史会議が東京で開催されることが決定しています。これに向けた準備を今から始めなければなりません。
これまでも経営史学会は富士コンファレンスの継続的な開催、英文学会誌Japan Research in Business History (JRBH)の刊行、日英、日仏、日独、日伊、日韓、日タイなどの2国間経営史会議の開催などにも、富士コンファレンス・国際交流委員会、JRBH委員会を中心にして積極的に取り組んできました。また2014年の文京学院大学での第50回全国大会で全国大会の国際化を目指して英語セッションを設け、その後隔年に英語セッションを設けるというこの方針は2016年の中央大学での第52回全国大会でも継承され、軌道に乗りつつあります。
第2に私たち研究者をめぐる研究環境も大きく変化しつつあります。情報デジタル化の動きは留まるところを知りません。日本経営史研究において、「アジア歴史資料センター」(アジ歴)、「国立国会図書館デジタルコレクション」の恩恵を被っていない研究者はいないでしょうし、外国経営史の場合はなおさらでしょう。また大学紀要類でも紙媒体からデジタル化への転換の動きが加速する一方、日本史・外国史における基本史資料のデジタル化が猛烈な勢いで進行中です。一次史料の発掘は私たち研究者の永遠の課題ですが、同時にデジタル化資料の氾濫が研究環境の新たな格差の発生に繋がらないよう留意する必要があります。経営史学会も情報発信のあり方について、広報委員会を中心に考えていきたいと思います。
第3に若手研究者への支援策についてです。ベビーブーマー世代の退職、引退に伴って各学会では会員数の減少を経験しつつあります。その一方で「2018年問題」に象徴されるように18歳人口の減少は確実であり、それぞれの学問領域が魅力的でないかぎり、大学院生を惹きつけることは難しいでしょう。愚直な迂路のように思えるかもしれませんが、研究組織委員会によってよく準備された全国大会での報告が彫琢された上で投稿され、編集委員会の地道な活動と匿名のレフェリーに支えられた『経営史学』に論文として掲載され、それらの一部が学会賞選考委員会の手を経て顕彰されるという道筋が若手研究者への支援策の王道だと思います。
そのためにも各地で開催される各部会において若手研究者が積極的に報告することを支援したいと思います。また国際会議に出席する大きな効用のひとつが、世界各地に同業者がこんなにもいることを実感できることです。母語以外の言語で論文を執筆することは容易な事ではありませんが、経営史学会は国際会議でたとえば英語論文を発表する若手研究者の活動を支援したいと思います。
最後に、企業・団体をはじめとした法人会員の皆様方に変わらぬご支援を賜りますよう、この場を借りてお願い申し上げる次第です。経営史学会の会員の皆様はもとより、非会員の方々のご支援も得て、経営史学の発展のために努力する所存です。どうぞよろしくお願い申し上げます。
2017年元旦 経営史学会会長 沢井 実
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